Dan Nakatoshi

あさめしコードのDan(ダン)です。 YouTubeのチャンネルと合わせて、プログラミングについての記事を書いています。 私は日本で育ち2015年からアメリカに住み始めました。プログラミングは2020年に独学で始めたので多くの皆さんが先輩になるかと思います。しかしそんな私でも英語ですべてのドキュメンテーションを理解することができるので、アメリカから日本の皆さんにホットなプログラミング情報をお届けすることが使命であると感じております。 プログラミングは時に孤独との戦いです。画面の前に何時間も向かっていなければなりません。私はこれを2年間続けてPythonとJavaScriptを学ぶことができました。この成果は自分のまわりの人に見せることもできますしネットを通して世界中のどこでも届けることができます。 このコミュニティを通して人間としての成長、技術の成長を共に目指しましょう。

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日本での生活

私は3歳から25歳まで日本で育ちました。当時は将来のこともろくに考えず目先の楽しいことと、やるべきことばかりを考えて生きていました。 しかし高専に入学し、勉強の意味が理解できなくなりました。なぜ勉強するか、疑問をずっと抱えたまま、卒業できたもの工場の研究員にはなりたくないために大学に行きなおすことにしました。大学でも勉強の意味が分からず中退をしてしまいました。 その後、地元に戻るのも負け犬になると思い、大学と同じ町にある不動産屋さんに就職しました。その後1年で宅建の資格を取ることができました。 この時に勉強の本当の意味を知りました。勉強の際にインプットとアウトプットのバランスが欠けていると私の様にモチベーションが全くわかず、苦しい思いをすることになります。学び方を先に学ぶことがいかに大事か身をもって知りました。

日本を離れた理由

大学時代に就活が毎日の話題になったくらいに、100件レジュメを送ったとか大企業しか目指さないと自慢する人間、それをすごいを褒める人間に囲まれる環境になじめませんでした。もちろんそれを他人事と放っておけばよかったのですが当時のナイーブな私は周りの意見に流されているのが明白でした。 ある日、私がアメリカの市民権があることを思い出し、米国のパスポートを取得することができました。それから1年後にはアメリカに到着していました。 皆さんも自分に手元にもそれぞれ違うカードがあると思います。社会は平等ではありません。だからこそ持っているカードで今の現状を切り開くべきなのです。それが私にはアメリカのパスポートだったわけです。大学に入ったカードはあまり役に立ちませんでしたが、教訓を学びました。日本にいても普通以下の人生で終わる可能性があると感じていたのです。

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アメリカでの生活

アメリカについてから

アメリカから持ち込まれるメディアや文化が日本のどこにでもあります。しかし、実際に住み始めると想像を超えた経験になりました。

良くも悪くもすべてに対する考え方の違い、治安の悪さ、すべてが自己責任の代わりに何でも自由!そんなところでしょうか。

アメリカに来てからは今の嫁になる人と1年ずつ色々な街に住みました。ニューヨーク、ハワイ、シアトル、フィラデルフィア。。。

同じアメリカでも街によって住む人間が違えれば、違う雰囲気、文化があることに驚きました。そしてこの間にどの町に根ずくのが良いか、将来はどのようなキャリアを積もうか考えていました。

また、嫁と移動とアパート暮らしを繰り返し苦難を乗り越えてきました。

結婚生活

アメリカに来て1か月で今の嫁になる方に出会いました。人生とは不思議なものです。何がめぐり合わせるか予想もできません。

彼女は香港の方で、文化も育ち方も違います。それでもお互いを理解しようとして一緒に困難と乗り越えてきました。

ハワイにいたときは本当に貧乏でマットレスを買うお金もなかったので一人用のマットレスで床で1年間寝ていました。車を買うお金をためてやっと20年落ちのスバルを買いました。

腹を抱えて笑うほどの楽しいことも、苦しくて叫びたくなるこどの困難も一緒に乗り越えてきました。

今こうして心に平和を保てることができるもの彼女のおかげです。ありがとう。 皆さんにも人生の一瞬間を共有できるパートナーが見つけられることを祈ります。

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